まじめに

突然ですが、私が毎週行ってるオペラのメンバーのジャックがキャンサーであと3ヶ月ぐらいといわれたらしい。その奥さんは今、胸痛のため入院していると。ジャックは見るからにイギリス紳士で白髪の60いってないぐらいかしら?本当にいつも朗らかに話しかけてくれる人です。長くいると情が入ってきてしまうから怖いのだ。ましてや今回はそれを見ることすらできない。
病院でも私は終末期がどうしようもないぐらい苦手。私が今まで働いてきた職場は急性期が多く、みんな生死をさまよい病院にやってくる。もちろん不幸にもそのまま帰らぬ人となる人もいるが、大多数の人は回復して退院していく。後遺症はあるんだけど見た目には全く分からない。だから私は心臓が好きなのだ。
その中でも心不全などで苦しみ苦しみなくなる方もいる。そんな時、私は患者とともにしんどくなっていってしまう。私の出来る限りをしたいけど、勤務の関係上、ずっとついてあげることもできない。時々本では見かけるが勤務中も外もずっと患者についててあげるとかって、そんなの現実問題無理なんです。いろんな葛藤をしながら私たちは働いている。最後の最後になれば、みんなが泣いているのを尻目に私たちは私たちの出来る最後の仕事の準備をします。そう、泣いている暇なんてないんです。最後の処置は大概二人でするのでつらかったねーとか楽になったねーとかいい、その方の話を同僚としながら終える。あの処置は好きです。私たちが出来る最後のことだから。どんなにあの処置がすきでも、そこに至るまでの過程にやっぱり耐えることが出来ない。人は必ず死ぬものだし、私の生きる世界はそういう世界なんです。分かってる分かってるけど・・・
人にはそれぞれの人生があり、最後の場面に少しでもかかわりあえる私たちの仕事は貴重な特別な仕事かもしれない。しかし、今までに何人の人の最後を見送っただろうか?私はそのたびに十分な何かをその患者にしてあげれたんだろうか?
「患者を笑顔にしたい」そんな理想を掲げて私は看護婦になった。看護婦の理想というにはものすごく幼稚な、理想論である。でも本当にこれは基本かもしれない。自分が元気じゃないと人の世話なんて出来ないし、まして人を笑顔になんて、、、
なんだか論点がどうしようもなくずれてますが、ちょっと仕事について書いてみました。私は看護婦をやめるためにここにいるんじゃない。続けるためにここにいるんです。しかし、看護婦としてだけではなく、人を笑顔にしたい、そう思って生きていこう。そう思った今日この頃でした。